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購入した物や日々のことなど書こうと思ったら、最近は猫日記になってきました…
~since2013~
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今夜は新年会で日本平ホテルのレストランへ食事へ行って来ました。
昨年末、仮住まい先の大家さんから忘年会として食事へ誘われ行って来ました。 そのお礼として今回は招待して食事に行ってきました。 久しぶりに贅沢な食事でとっても美味しかったです。 お腹がビックリしてお腹を壊さないといいですが… 兄に頼んで予約してもらったおかげなのか、料金を10%割引してくれました。 けっこうな金額だったので助かりました… 今まで何回か利用しましたが、利用した日全て天気が良くて今日も夕暮れ時で紅く染まった富士山がとても美しかったです。 ついでに大家さんに里親さん募集のチラシと各猫の写真を渡しました。 チラシに書いてある文章を見て最初は笑っていましたがその後ちょっとウルウルしていました。 大家さんも飼い猫がいるので里親さんになるのは無理だけど、散歩中などでクルマに轢かれてしまった猫を見かけると、これ以上無残な姿になるのを可哀想に思い畑の通路脇に埋葬してお線香をあげたりしているので、この方の紹介なら良い里親さんが見つかりそうだと思いチラシを渡しました。 日本平ホテル http://www.ndhl.jp/ PR 子供の頃、小野田さんが帰国したニュースを見たのをかすかに覚えています。
終戦を知らずに過ごしやっと帰国できた。 そんな風に思っていました。 数年前NHKで小野田さんのドキュメンタリー番組を見た時に、初めて詳しくどのような状況だったのか知りました。 上官に基地を死守するように命じられ、戦況が悪化すると仲間と隠れゲリラ戦で戦い、終戦を知らず仲間を失ってからはずっと一人で戦い続けた。 発見されて帰国するように促されても、上官の命令でここを動く事はできないと言い、当時の上官を連れて再度小野田さんを訪れ、上官から命令を解いてもらい帰国。 忠義と言う言葉があるけど、その時初めて忠義と言う言葉の重さを深く知りました。 帰国するとお母さんが出迎え『よくぞ生きて帰ってくれました。長い間ご苦労さまでした。』と声をかける様子を見て、戦時中や戦後はこのようなシーンがどの家庭でも見られたのだろうなぁ…と思いました。 NHKの番組を見て一番驚いたのは、発見当時の小野田さんの目つきが物凄く鋭くとても怖い目をしていた事でした。 長い間いつ死ぬか解らない状況の中一人で戦っていた事で表情が変わってしまったのでしょうか。 帰国後しばらく入院しており、入院中も音にとても敏感で深い眠りがなかなかできなかったと語っていました。 小野田さんの鋭い眼光を見て、戦国時代の武将はみんなあのような目つきだったのかなと思いました。 『お国の為に死んで来い』と教えられ戦争へ行き、帰国した国は平和ボケで馴染めずブラジルへ移住。 物凄い葛藤があったようです。 ずっと国の為に戦ってきたのに、帰国した国は平和になっており戦争を知らない世代も多くいて、戦時中の教えとは全く違い浦島太郎状態だったと思います。 ある意味小野田寛郎さんはラストサムライだったのではと思いました。 日本のためにありがとうございました。(戦争へ行ったおじいちゃん、戦時中を生き抜いた全ての人に言えます) 心よりご冥福をお祈りします。 先日通販で注文していた猫の缶詰ご飯とモンチたちのご飯が届きました。
モンチたちのご飯は、家に入れた当初はヒルズの子猫用のご飯でしたが、今はロイヤルカナンのインドア12カ月以上のご飯に変えました。 いつも大量に購入するのでほとんど通販を利用しています。 通販って便利ですね。 それと最近はペットブームなのかペット用品を扱っている店がかなり増えて、ホームセンターでもペット用品を多く扱っています。 高校生の頃は山形の高校へ通っておりアパートで一人暮らしでした。 そんなある日、友達がアパートにやってきました。 生後3~4カ月の子猫を抱えてやってきて、開口一番”この子飼えない?”(正確には山形弁で訛ってました) 理由を聞くと、子猫が3匹捨ててあるのを見つけ2匹は貰い手が見つかったけどこの子だけ貰い手が見つからず連れて来たとのこと。 なんでぼくのところに連れて来たのか聞くと”一人暮らしで学級委員長だったから…”とのこと。 ぼくが学級委員長になった理由は『訛っていなくて標準語が喋れるから』そんな理由で3年間学級委員長をやらされました。 たしかにみんな訛りが凄いです。 英語の先生も英語が凄く訛っておりダニエルカールもビックリ!です。 友達の家へ行き、友達のお婆ちゃんなどと話しをすると何を言っているのか全く解りませんでした。 猫の話しに戻ります。 うちでも飼えないので無理だと言うと”捨てて来る”と言うので仕方なく引き取りました。 身体の柄はたまのような子でした。 当時はペット用品店などほとんどなく、猫のトイレ用品なども簡単に手に入るような状態ではなかったと思います。 今思い出しても猫のトイレをどうしていたのかハッキリと覚えていません。 ただベランダで砂を干した記憶がかすかにあります。 食事も何をあげていたのかほとんど記憶にありません。 でもスクスク育ってくれて、学校から帰り玄関のドアを開けると出迎えてくれてお腹を出してゴロンゴロンして帰ってきたのを喜んでくれました。 狭い部屋にずっと閉じ込めていたので、時々近所の公園へ散歩へ行ったりしました。 病院へ連れて行くのにボストンバッグに入れて自転車で連れて行った記憶があります。 帰省の時はまだ山形新幹線が走っていなかったので、東京へ行くのに5時間くらいかかった記憶があり、そこからさらに新幹線に2時間くらい乗らないとならないので、猫を連れて帰省するのをやめようと思ったところに同級生の女の子が預かってくれる事になり帰省する事ができました。 その後、日中の間猫を一人にさせるのは可愛そうだったのと、ペット禁止のアパートだったし、預かってくれていた子が引き取っても良いと言ってくれたのでその子の家に貰われて行きました。 帰省の時など預けに行った時に、ぼくがいなくなった方を窓からずっと眺めて鳴いていたと聞かされた時は胸がキュンとなりました。 その子が亡くなった時に電話をくれて、最後まで面倒をみてくれたお礼を言いました。 約14年生きました。 ぼくと過ごした期間は10カ月くらいでした。 今は通販でもペットショップでも色んな物が手に入るけど、当時はどのようにしていたんだろう?と先日届いた猫のご飯を見て思い出しました。 | カレンダー
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HN:
ごん太
性別:
男性
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登山&アウトドア、音楽、写真、昼寝
自己紹介:
気が付いたら猫が9匹住み着いてます。
2013年2月からブログ始めました。 それ以前の日付の記事は過去に遡って記録のため書きました。 ほとんど買い物したメモ代りのブログになると思います… カウンタ
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