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購入した物や日々のことなど書こうと思ったら、最近は猫日記になってきました… ~since2013~
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冬季オリンピック

オリンピック絶賛開催中ですね。
冬のオリンピックの季節が来ると必ず思い出すことがあります。

今から20年前の長野オリンピック、当時ちょうど4日間くらい仕事が休みで朝から晩までずーっとホームページを作ってました。
ホームページ作るのなんて初めてでHTMLと格闘してました。
スキージャンプ団体で日本が金メダルを取った時もTVを点けてパソコンの前にドカッと座ってホームページ作りしながら見てました。
そして作業中の間ひざの上には当時いた猫のミャーちゃんがずーっとひざの上にいました。
この子はひざの上が大好きで、ぼくが部屋にいると必ず部屋に入ってきてすぐひざの上に乗って寝てました。
当時猫はまだ3匹しかいなかった。
ずーっとひざの上にいるので時々足が痺れてどいてもらってもすぐにひざの上に乗ってくるくらいひざの上が好きで甘えん坊な子でした。

あれからもう20年も経ってしまったんですね…
月日が経つのはほんと早いです。

2001年撮影。
ミャーちゃんは2007年6月に癌で旅立ちました。
とってもお利口さんで甘えん坊な子でした。

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ラム

先日過去に撮影した写真を見ていて下の写真が目に留まりました。
2006年7月に先代わんこのラムと一緒に標高2,000m近い稜線の森を歩いている時に撮影した写真。
周囲は霧に覆われていてあまり視界が良くなさそうです。
久しぶりにこの写真を見て最初に思ったのは
”ラムは凄いお利口な犬だったんだなぁ…”
と思いました。

今なつをこの場所で同じようにノーリードで放す事なんて考えられません…
しかも霧で視界が良くないし、登山道を外れてどんどん脇へ入って迷子になりそうです。
いちおう犬笛で呼び戻す練習はしていはいるものの、鹿などの動物に遭遇してスイッチが入って追いかけて行ったりしたらどうなるんでしょうか…
考えただけでも怖いです。

この写真の場所付近で、ラムと登山中に目の前をニホンカモシカが横切った事がありました。
突然の事でぼくもラムもビックリ!
ラムは吠えながら追いかけて行こうと走り出したので
”マテ~!”
と叫んだらピタッと止まり、追いかけるのをやめてくれました。
ラムは初めて登る山でもノーリードにしても登山道を外れて歩くような事はしませんでした。
他に登山者がいる場合を除いて、ラムとの登山は当たり前のようにノーリードでした。
今思うとラムの事をとっても信頼していたんですね。
信頼していないとこんな山奥でノーリードなんてできないですよね。
今のなつと比べると登山時は信じられないくらいにお利口な犬でした。

なつはなつでラムとは違った形でお利口な犬だけど、アウトドアではまだまだラムにはかないません。
しかしどうやってラムに登山道以外は歩かないように教えたのでしょうか…
根っからの登山犬だったのでしょうか。





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旅立ち

早朝近所の公園へなつの散歩へ行き、家に帰るため道路を横断しようとすると道路で猫が倒れていました。
すぐにシャムちゃんとわかり、クルマの気配を伺い近寄るとすでに息絶えていました。
なつを家に置いて段ボールを持ってすぐに引き返しました。

シャムちゃんが倒れていた道路は交通量が多いので轢かれて身体の損傷が激しくなると可哀想だと思ったが、みんな除けて通過してくれて外見はほとんど損傷がないように見えました。
抱えると身体はまだ少し温かくてとても柔らかかったです。
遠目で見ると眠っているような感じだったけど、目は見開き鼻から少し出血して口を開けて息絶えていました。
きっと道路を横断している時にクルマにはねられたようです。
”どうしてこんなに交通量の多い道路を横断しようとしたの!”
”ダメでしょ!”
と心の中で怒りました。

シャムちゃんはモンチたちを保護してから庭に現れるようになりました。
現在ご飯を食べに来る猫たちの中で唯一触らせてくれる子でした。
毎朝外猫用に設置したトイレ(記事参照)を掃除していると、”掃除してくれてありがとう”と言っているのかよく隣で掃除しているのを眺めていました。
シャムちゃんは目がかなり寄り目で愛嬌があってとっても可愛い子でした。
飼ってあげたらとっても懐っこい子になるんだろうなぁ…と思ったけど飼う事はできませんでした。

庭に咲いていた花とご飯を添えて火葬場に送って来ました。
突然いなくなってどうしたんだろう…と心配する事なく見送る事ができたのは幸いでした。

道路に倒れていたシャムちゃんを引き取りに行った時にまたまた空耳事件がありました。
倒れていたシャムちゃんを段ボールに入れて家に連れて帰った時に、玄関門扉に入った時に
かすれた声で
”ニャー”
と鳴き声が聞こえました。
シャムちゃん生き返ったの?と思いビックリして確認したけど眠ったままでした。
家の中には置いてあげれないので玄関門扉の中に置いて、庭へ花を取りに行ったりなど用事を済ませるためシャムちゃんの横を通るとまたまた
”ニャー”
とかすれた鳴き声が聞こえるので、今度はハッキリと聞こえたぞと思い周りに他に猫がいないか確認したけどいませんでした。
シャムちゃんの鳴き声って今まで一度も聞いた事がなかったけど、あの鳴き声はシャムちゃんだったのでしょうか…

シャムちゃんは楽しい一生だったのでしょうか。
もう寒い夜に凍えながら寝たりしなくていいんだよ。
うちの庭でご飯を食べた子たちはみんな仲間だから、先に旅立った子たちと仲良くのんびりと暮らして下さい。
シャムちゃんに会えて嬉しかったです。
ありがとう。

眠っているようです。

2014年8月にケータイで撮影。
この頃はまだ身体が痩せていました。

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初代パンダくん

なつの夜の散歩中、近所の公園で猫たちの世話をしている人に会いノラ猫だったちーちゃんとユキちゃんたちの面倒をみてくれていた初代パンダくんが旅立ったと聞きました。
このパンダくん(記事参照)はとっても面倒見の良い子で、ちーちゃんやユキちゃんの他、当時公園に住み着いていた子猫などの面倒を見てくれていました。

パンダくんは元々は飼い猫だったけど、飼い主の事が嫌だったようで家を飛び出し外でずっと生活をしていたようだけど、とても懐っこくて公園のベンチに座ると必ず膝の上にのってきました。
ラムの散歩で公園を歩いていると後をついて来て一緒に散歩もしたりました。

写真はパンダくんとノラ時代のちーちゃんの2ショット。
2002年に撮影したので今から12年前の事です。
当時パンダくんは何才だったのか解らないけど、この写真を撮った時から12年経過しているので13才以上生きて旅立っていきました。
世話をしてくれていた方の話しだと老衰らしいので、実際はもっと生きたと思います。
つい最近まで昔と変わらずノラ猫の面倒をみていたようです。
とっても優しい子でした。

ちーちゃんとユキちゃんにパンダくんが亡くなった事を話すと、ユキちゃんはぼくの目をジッと見て深く目をつぶりました。

今頃は先に旅立った面倒を見た子達と遊んでいるのでしょうか?
天国でのんびりと暮らして下さい。
それとまだ先の話しだけど、ちーちゃんとユキちゃんがまたお世話になる時が来るのでまた宜しくお願いします。

ありがとうございました。
お疲れさまでした。

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高校生の頃

先日通販で注文していた猫の缶詰ご飯とモンチたちのご飯が届きました。
モンチたちのご飯は、家に入れた当初はヒルズの子猫用のご飯でしたが、今はロイヤルカナンのインドア12カ月以上のご飯に変えました。
いつも大量に購入するのでほとんど通販を利用しています。
通販って便利ですね。
それと最近はペットブームなのかペット用品を扱っている店がかなり増えて、ホームセンターでもペット用品を多く扱っています。

高校生の頃は山形の高校へ通っておりアパートで一人暮らしでした。
そんなある日、友達がアパートにやってきました。
生後3~4カ月の子猫を抱えてやってきて、開口一番”この子飼えない?”(正確には山形弁で訛ってました)
理由を聞くと、子猫が3匹捨ててあるのを見つけ2匹は貰い手が見つかったけどこの子だけ貰い手が見つからず連れて来たとのこと。
なんでぼくのところに連れて来たのか聞くと”一人暮らしで学級委員長だったから…”とのこと。
ぼくが学級委員長になった理由は『訛っていなくて標準語が喋れるから』そんな理由で3年間学級委員長をやらされました。
たしかにみんな訛りが凄いです。
英語の先生も英語が凄く訛っておりダニエルカールもビックリ!です。
友達の家へ行き、友達のお婆ちゃんなどと話しをすると何を言っているのか全く解りませんでした。

猫の話しに戻ります。
うちでも飼えないので無理だと言うと”捨てて来る”と言うので仕方なく引き取りました。
身体の柄はたまのような子でした。

当時はペット用品店などほとんどなく、猫のトイレ用品なども簡単に手に入るような状態ではなかったと思います。
今思い出しても猫のトイレをどうしていたのかハッキリと覚えていません。
ただベランダで砂を干した記憶がかすかにあります。
食事も何をあげていたのかほとんど記憶にありません。
でもスクスク育ってくれて、学校から帰り玄関のドアを開けると出迎えてくれてお腹を出してゴロンゴロンして帰ってきたのを喜んでくれました。
狭い部屋にずっと閉じ込めていたので、時々近所の公園へ散歩へ行ったりしました。
病院へ連れて行くのにボストンバッグに入れて自転車で連れて行った記憶があります。

帰省の時はまだ山形新幹線が走っていなかったので、東京へ行くのに5時間くらいかかった記憶があり、そこからさらに新幹線に2時間くらい乗らないとならないので、猫を連れて帰省するのをやめようと思ったところに同級生の女の子が預かってくれる事になり帰省する事ができました。
その後、日中の間猫を一人にさせるのは可愛そうだったのと、ペット禁止のアパートだったし、預かってくれていた子が引き取っても良いと言ってくれたのでその子の家に貰われて行きました。
帰省の時など預けに行った時に、ぼくがいなくなった方を窓からずっと眺めて鳴いていたと聞かされた時は胸がキュンとなりました。
その子が亡くなった時に電話をくれて、最後まで面倒をみてくれたお礼を言いました。
約14年生きました。
ぼくと過ごした期間は10カ月くらいでした。

今は通販でもペットショップでも色んな物が手に入るけど、当時はどのようにしていたんだろう?と先日届いた猫のご飯を見て思い出しました。

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プロフィール

HN:
ごん太
性別:
男性
趣味:
登山&アウトドア、音楽、写真、昼寝
自己紹介:
気が付いたら猫が9匹住み着いてます。
2013年2月からブログ始めました。
それ以前の日付の記事は過去に遡って記録のため書きました。
ほとんど買い物したメモ代りのブログになると思います…
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